都市部の浸水はほとんど旧河道で起きていた

水害ハザードマップ

2019年台風19号(令和元年東日本台風)は、千曲川や阿武隈川など、大河川も決壊して大きな被害が出ましたが、東京や神奈川の多摩川沿いでも浸水被害が相次ぎました。

特に川崎市では、台風19号での市内の住宅被害は全壊33件、半壊948件、床上浸水は1258件、床下浸水は411件になりました。罹災(りさい)証明書の発行件数は3411件にのぼります。

帝京平成大学小森次郎准教授は、多摩川の下流沿いで広い範囲に浸水被害が確認された川崎市や東京 世田谷区など15の地域を調査しています。

その結果、13の地域で旧河道が含まれていたことが分かっています。

川崎市の浸水エリア
図:NHKWEB「地図はいまも悪夢を知っている」より

これらの地域では、雨水を排水しきれずに溢れたり、多摩川への排水管から川の水が逆流したりしたほか、支流の氾濫などが起きています。

こうした中、小森准教授は、“旧河道”があったことで、その水が集中した浸水被害が広がったことを指摘しています。

都市部の浸水はほとんど旧河道で起きていた

多摩川の旧河道を調べる。

旧河道とは、昔河川だった場所で、そのため泥土が堆積しており、周囲の土地よりも低い帯状の地形で湿地になっていることが多く、水が集まりやすいのが特徴です。

さらに今は道路に舗装されたり住宅が建ったりしているため、ほとんどその痕跡がわからなくなっています。

実際に「旧河道」があった地域の1つ、川崎市中原区の浸水被害の特徴は、浸水の深さは1メートルほどで、道路沿いの家のほとんどが床上浸水しています。その特徴は浸水被害が局地的だったことです。

図:駒沢大学平井先生「令和元年東日本台風」より

右の明治39年の地図から、多摩川旧河道とその周辺低地に被害が集中している様子が分かります。

前回のブログでは、この旧河道についての調べ方をご紹介しました。

そこで紹介した「地理院地図」を使って調べてみましょう。

地理院地図:川崎市中原区

浸水被害が広がった地域と、旧河道の位置が一致していることが分かります。

多摩川左岸低地が浸水した多玉堤・田園調布5丁目も確認してみましょう。

図:駒沢大学平井先生「令和元年東日本台風」より

台風による大雨で多摩川が増水したため、等々力渓谷を流れ下る谷沢川の排水ができなくなって、谷沢川が溢れました。また、丸子川の水を多摩川に逃がす排水路も多摩川への排水が不能となったため溢れました。

同じく「地理院地図」を使って調べてみましょう。

図:国土地理院地図「玉堤・田園調布5丁目

特に、丸子川と多摩川の間を平行して流下する排水溝周辺の浸水被害が大きいようです。

旧河道の特徴

旧河道の浸水被害の特徴は、被害が局所的なことです。調査の中でも住民の女性が「両隣の通りは何でも無かったのに、この通りだけがひどかった」と述べています。

図:NHKWEB「地図はいまも悪夢を知っている」より

この旧河道については、こんなことも言われるそうです。

「旧河道には、再び水が戻る」

このように、かつて川だった場所は長い年月を経て、舗装されたり、埋め立てられたり、あるいは住宅が建ったりして痕跡はほとんどありません。

そのため、より深刻なリスクが顕在化したのが、川崎市高津区の川沿いの地区です。

この地区では、多摩川の支流が水が流れ込めずに逆流するなどしてあふれ、多摩川と合流する一帯が水につかりました。

左図:NHKWEB「地図はいまも悪夢を知っている」より
右図:国土地理院地図「川崎市高津区

ここの住宅街の中に土の堤防があります。もとは、かつて流れていた川の流れに沿って自然にできたものです。現在も多摩川の下流への氾濫拡大を防ぐため「霞堤(かすみてい)」として残されています。

小森准教授は、地区の旧河道に流れ込んだ水が、堤防があるために周囲に逃げにくくなり、急激に水位が上がった可能性があると指摘しています。

自治体が作成するハザードマップは、高低差をもとに作られており、浸水するおそれのある範囲は、旧河道も含め、「面」として表現されていますが、旧河道がどこかまではわかりません。

このように調べることで、その地形によって今後起こる洪水の氾濫の姿を調べることができます。どんな地形が浸水被害にどのように関わっているか知ることで、避難などの対策がとりやすくなると思います。

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