韓国を襲った豪雨は未来の東京の姿

浸水被害

2022年8月8日から韓国首都圏で降り続いた豪雨によって大きな被害が出ました。韓国気象庁によると、1時間降雨量が141.5ミリを超え、1942年以降で最大となりました。

10日午前6時までの総雨量は、ソウルトンジャク区で525ミリ、ヤンピョン市で533ミリ、同じくクァンジュ市で525ミリに達しました。首都ソウルの繁華街カンナム周辺でも道路が冠水、立ち往生する車が続出しました。

ソウルの鉄道や地下鉄の線路が10か所で冠水して運行停止、またホームに水が流れ込み、天井から水が漏れ出すなど鉄道施設6か所で被害がありました。

米アカデミー賞を受賞した韓国映画「パラサイト」で取り上げられた「半地下のアパート」付近の路上では、水位が腰付近まで達しており、流れ込んだ洪水で亡くなった方が確認されています。ソウル市によると、ソウル市内にある半地下住宅は合わせて20万戸あり、ソウル市内の全住宅数の5%に上っています。実態調査が進めば、さらい被害は拡大する可能性があります。

現時点で、住宅の損壊などはソウル市を中心に住宅・店舗の浸水は2676棟で、この内のほとんど2419棟がソウルで発生した被害となりました。

現地の画像には、地下鉄に流れ込んだ状況や、人々の膝や腰まで水に浸かりながら歩く様子、車が動けなくなっている様子などが写っています。

首都圏で同じ被害は確実に起こる

外水氾濫(堤防決壊)で銀座は水没

韓国と同じような被害が日本でも起こる可能性があります。例えば2019年の台風19号で荒川の数カ所の堤防決壊が起こる寸前だったことは記憶に新しいと思います。少しでも台風のスピードや進路が変わっていれば、死者数千人、首都機能麻痺の大災害になるところでした。

豪雨をもたらすのは台風だけではなく、近年では「線状降水帯」によって、土砂崩れなどの大災害が生じるケースが多くなっています。2018年に高知県吉野川流域で発生した線状降水帯は、6日間に1955ミリ、最大時24時間で554ミリの大雨が降り注ぎました。

荒川、利根川、江戸川の3河川は下流域に大都市経済圏が広がり、人口が集中しています。荒川堤防の想定限界は300ミリと言われており、それを遥かに凌ぐ雨量になっています。もし決壊すれば、11分で荒川と隅田川分岐付近にある南北線・赤羽岩淵駅に濁流が押し寄せ、1時間後には北千住駅を飲み込む水の高さは7.25mになります。こうなれば銀座、丸の内、八重洲地下街は完全に水没してしまうでしょう。

ちなみに、東京で過去観測された最大24時間雨量は、1958年狩野川台風の392.5mmです。東京・埼玉・神奈川の3都県における住家浸水は43万戸にも達しました。

内水氾濫で渋谷は水没

内水氾濫とは、地下の下水道が排水できる容量を超えて雨水が地表に溢れ出す現象です。記憶に新しいのが2019年の台風19号で、武蔵小杉駅のタワーマンションの浸水被害です。大雨で増水した多摩川の泥水が下水道管を逆流し、武蔵小杉駅周辺を水浸しました。

実は東京の水害のほとんどは、この「内水氾濫」にあります。当たり前ですが、排水を流す先の河川の水位が上がれば受け付けなくなるため、街中に逆流します。例えば23区の下水道網は複雑に張り巡らされており、どこかが機能不全になれば、思わぬところで水が噴き出してしまいます。また都心部では地下の有効活用が進んでおり、地下鉄などの巨大ターミナルに水が流れ込んだ場合の被害については、計り知れないものになる可能性があります。もちろん止水板などの用意はあると思いますが、韓国の豪雨で地下に流れ込んだ水を完全に阻止することは難しいでしょう。

このような状況の中、都心部は地形の起伏が多く、窪地に雨が流れやすい傾向があります。特に専門家に危険視されている窪地が渋谷です。渋谷は地下開発が進んでおり、東横線などの地下ターミナルの整備も進んでおり、地下には雨水貯留施設が建設されています。しかし想定雨量を遥かに凌ぐ豪雨が頻発している中で、想定外となる可能性が高くなっています。

また内水氾濫は都市部だけでなく宅地浸水も多く確認されています。例えば鷺宮(中野区)、上目黒(目黒区)、阿佐ヶ谷(杉並区)などで冠水が起こっています。特に下水管の詰まりも問題視されており、汚水だけでなく、泥、砂、飲食店の油など、下水管を詰まらせる原因になっています。

高潮にも要注意

南から上がってくる台風に対して南向きに開く東京湾では、1950年に台風キティによって高潮の浸水被害が生じました。この高潮は荒川・隅田川を遡上して、多数の箇所で破堤・越流して、周辺ゼロメートル域を中心に氾濫しました。浸水家屋は10万棟強に上りましたが、災害後に堤防のかさ上げを強化するなどにより以後大きな被害は生じていません。

台風キティ

ただし、東京湾における最大の高潮は1917年の東京湾台風です。この時には最高潮位3.08m(最大偏差2.2m)であり、台風キティ(最高潮位2.1m、潮位偏差1.4m)の1.5倍にもなります。現在までこの最大偏差2.2mを超える高潮は東京湾で発生していませんが、しかし江戸時代では、最大偏差2mを超えたと考えられる高潮が3回起こっています。ほぼ80年に一回の間隔で起こっており、現時点で90年以上経っているため、危険性が増大していると考えられています。

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