前回のブログでは「2016年熊本地震」や「2011年東日本大震災」の旧耐震マンションの被害について確認しました。
今回のブログでは、マンションが被災した後、どのように復旧して生活を取り戻していくのかを確認しましょう。
旧耐震マンションを買うリスクを考える(パート5)。
熊本地震では数多くのマンションが被害を受けました。その後4年たった今も「全壊」したマンションで解体が完了していない例があります。
この建物の竣工は1974年。鉄筋コンクリート造、地上9階建てで、全41戸のマンションで、ピロティ形式の1階駐車場が潰れ、区は「全壊」の認定で罹災(りさい)証明書を発行しました。
そして建物解体後、敷地売却が完了して管理組合が解散したのは2020年2月のことなので4年弱もの年数を要しています。この理由について見ていきましょう。
取り壊し決議は「全員同意」
1つ目は、区分所有者および議決権の各「5分の4」を得て、取り壊し決議を可決することです。
しかし、住民の中には、解体に非協力的な人や、行方不明で所在が分からない人、税金未納の人もいます。それらに対応して訴訟などを行っていかなければなりません。
また、被災して住めなくなった場合、やはり公費解体をまずは申請します。しかし、熊本市は公費解体の条件として「全員同意」を求めたので、さらに年月が必要となりました。
一般社団法人の設立が必要
解体後に建て直すのではなく、敷地売却をする場合は、管理組合では解体後の不動産売買を行えません。なので、一般社団法人を設立して、個々の敷地共有者と信託契約を結ぶなどして、土地の権利をまとめる必要があります。
これも「全員同意」と同じく、ひとりひとりと契約を結ぶ必要があるので、これはこれで大変な負担になります。
この建物の解体後、土地は競売により約1億5100万円で売却しています。その売却益を敷地共有者に分配して、20年2月に管理組合、4月に社団法人を解散してすべて清算になります。
ちなみに、この建物の場合は、被災時の修繕積立金の約8割の4500万円を被災直後に、各戸(41戸)に返却しています。
仮にお住まいのマンションが被災した場合に、修繕積立金がいくらあり、土地の売却価格がいくらなのかを見積もることで、各戸への返却がいくらになるのかを知ることで、被災マンションのリスクを考えることができます。
次にマンションが被災した後、どのように復旧して生活を取り戻していくのかを確認しましょう。
復旧までの道のり
地震発生直後
夜中に地震が起きた場合、真っ暗な中、家族の安否確認をします。ガラスは割れていないか、家具の転倒などでケガしていないか。ケガをした場合は応急処置をします。そして家族で避難所への一時避難を検討することになります。
しかし、マンションの損傷が酷いと玄関ドアが開かないことがあります。その場合他の開口部やお隣りからの避難等も考えないといけません。
避難後、マンション全体で安否確認をしていきます。全戸のドアを叩きながら、残された人を確認していきます。防災意識が高いマンションでは、地震対応備品を用意しており、その中でバールが入っているので、玄関ドア等が開かない場合はこじ開けて救出していきます。
ここからは、実際に熊本地震で被災したマンションに住んでおられた方の、復旧までのレポートをまとめて紹介致します。
ビブレ本山管理組合 稲田雅嘉「熊本地震における私のマンションでの復旧活動報告」
地震直後の対策本部立上げ(地震後~2日)
4/16熊本地震
4/17対策本部立上げ
集会室に「震災復旧対策本部」を設置
エントランスの壁にはライフライン、建物などの被害状況、復旧計画、復旧状況等を掲示
4/18二次さいがい防止
有志で崩落しそうなタイルや壁をハンマーで落とし、トラロープで立入禁止区域を明確化
対策本部で情報共有や展開のための連絡リスト(携帯電話、メルアド)を収集することで、復旧などの情報を共有化したため、スピーディーな合意形成の実現に繋がっています。
ライフライン復旧(地震後~1ヵ月)
屋上高置水槽破損、地中でのガスメイン配管漏洩、エレベータ破損
地震直後は復旧工事依頼が殺到するので、特に困るのが長期間の断水によってトイレが使えないことです。
このマンションでは、運よく地上の受水槽は被害がなかったため、仮設水道を作って1階の集会室のトイレを共用トイレとして解放しています。
このように対策本部が中心となって、住まい続けるために協力する関係ができていることも大切です。
支援物資の確保(地震後~2週間)
地震直後は食料、水の確保が難しく、コンビニ、スーパーは閉店かすぐに品切れる
避難所で物資の調達を個々でするのではなく、対策本部で直送を依頼して受け取っています。このように住まい続けながらいかに生活を継続するか、その機能を対策本部が担っています。
震災ゴミの回収(地震後1週間~1ヵ月)
マンションのごみ捨て場もすぐにオーバーフロー
理事会ではごみ出しを停止し、有志を集めて分別し、市に連絡してまずは腐敗する生ごみを回収しています。その後は震災ゴミ出しのルールを明示し住民に徹底しました。
復旧委員会立上げ(地震後2週間)
建物の被害度は各戸によって様々、共用部修理の合意の難しさ
共用部分、専有部分の区分や、共用部分の修理は区分所有者全員で負担することを理解されていない方も多くいました。そこで、出来るだけ多くの人を当事者にするために区分所有者の1/3の方を復旧委員会に指名し、この組織作りによって合意形成がスムースに進んでいます。
建物の被災度判定(地震後1ヵ月~2.5ヵ月)
復旧委員会では即座に地元工事業者を選定、しかし被災マンションを修復した経験がない
副理事がNPO熊本県マンション管理組合連合会(熊管連)に加入しており、阪神淡路大震災を復興した経験のある工事業者や建築士を紹介や、復旧工事のノウハウがある福岡大学建築学科の古賀一八教授の派遣を受けています。
このようなプロフェッショナルな方々のネットワークから、元通りの建物を復旧出来ることを住民に納得してもらい、大規模半壊にもかかわらず震災から半年後に工事着工が可能になっています。
また、理事会を毎月開催することで、区分所有者との課題や問題を即座に解決しています。
地震保険と罹災証明の判定対応(地震後~3ヵ月)
工事費が大規模修繕工事費用の約3倍、しかも1回目の地震保険判定は“一部損壊”で、5%の保険金ではほとんど足しならない
地震保険では、理事全員で審査官から採点対象部位(柱と梁)や判定基準を聞き出し、半損判定の20ポイントを確保するための戦略を検討。理事が全戸に訪問し、最も被災度の大きい部屋、破損部位、フロアーを特定して2回目の判定で “半損“となり50%の保険適用となっています。
また、行政の1回目の罹災証明の判定は“半壊”。熊管連の会員同士で情報交換し、判定基準を学習して、2回目で”大規模半壊”となっています。
このように住民の協力、プロとの情報交換、理事全員の手弁当の活動などがありました。
合意形成(臨時総会)(地震後3.5ヵ月)
7月30日に臨時総会決議で合意を取り、工事業者へ発注
正月までに完全復旧するとの決意から逆算してスケジュールを作り、臨時総会の日にちを7月30日として、この日を目標に協力して進めて合意しています。しっかりとしたスケジュールを住民に示すことが大切だと思います。
応急修理制度の申請と各種支援制度の連絡(地震後3~4ヵ月)
半壊以上には「応急修理制度」、大規模半壊以上では住めなくなった方には「民間賃貸住宅借上げ制度」の活用(併用は不可)
マンションは“大規模半壊”のため、マンションに住めない方は「民間賃貸住宅借上げ制度」の活用、住める方には共用部分の復旧に対して「応急修理制度」の適用をお願いしています。この「応急修理制度」により復旧工事費用の約15%を賄うことが出来ています。
復旧工事開始(地震後5.5ヵ月)
地震後は工事業者に注文が殺到し、発注が遅れるほど工事費用が跳ね上がっていく
7月末発注では工事費用は想定範囲内でしたが、半年遅れで発注したところは約20%程度工事費が跳ね上がっているそうです。
マンションの復旧工事手順のまとめ
大規模半壊という被災度でこれほど早く工事着工ができたのは、①理事会、自治会の活性化、②継続的なコミュニティー醸成活動、③NPO熊本県マンション管理組合会での学習と情報入手があったことが挙げられています。
このように、震災対応が上手くいった最大の要因は、「日ごろのコミュニティ醸成活動」であったということです。
「マンションは管理で買え」という格言があるように、管理が行き届いているマンションは、仮に被災したとしても日頃からコミュニケーションが活発なので、いざという時にもこのような対応が十分できると思います。