1923年関東大震災では、震度8クラスの烈震が関東南部で発生し、 一瞬のうちに鎌倉全域を壊滅させました。
鎌倉市中央図書館蔵されているこの写真は、霊山崎から見た津波のあとです。
2016年熊本地震と同じように2度の地震があり、第一震で建物や橋梁の倒壊、山崖の崩壊等被害が生じ、40分後の第二震で被害が一層深刻化しました。
この地震で鎌倉大仏は45cm沈下し、下がった方へ35cm動いています。
また、津波は第二震の前後2回にわたって襲来しました。
『鎌倉震災雑誌』によると、最初に海水が引いた距離はおそらく500m以上で、高さは7~8m、江の島の沖から由比ヶ浜方面を向いて襲って来たとのこと。
津波被害は1回目よりも2回目の方がはるかに大きく、海水は急激に引き、やがて沖合から黒褐色を帯びた大波が押し寄せたと言われています。
この「沖合から黒褐色を帯びた大波」について、『鎌倉震災誌』の中で記されています。
坂ノ下
稲瀬川付近で第2震のおよそ20分後、海水は遠く引き去りはるか沖合に黒光りした大波が大音響を立てていた。その時砂浜には被災者が5、60名位づつ数個所に避難しており、気がついた人々は辛うじて逃げ去った。家屋や護岸が流された。
鎌倉震災誌
上記内容は「知られざる鎌倉探索」を参考に致しました。このサイトは関東大震災の鎌倉や、知られざる近代鎌倉の歴史やスポットを写真とともに紹介していますのでお勧めです。
鎌倉(湘南)を襲った黒い津波。東日本大震災の黒い津波でその現象が明らかに。
町を襲った黒い津波の正体
2011年東日本大震災では、マグニチュード9.0の地震により沿岸の各地に巨大津波が押し寄せ、気仙沼市では市街地の建物の半数近くが被災し、1,432人が犠牲になりました。
津波が町を襲った瞬間から一連の映像が残されており、鎌倉を襲った津波と同じ特徴が確認できます。
地震発生からおよそ40分後、岸壁を越え始めた津波は透明でしたが、その1分後に押し寄せる津波は黒くなり、時間が経つにつれてどす黒く変化していきます。
黒く色を変えて町を襲う津波は、宮古市や大船渡市、八戸市など、各地で撮られた映像でも確認できます。
これらに共通しているのは、入り組んだ湾や港のある場所であり、鎌倉(相模湾)も同じく湾状の海域です。
この黒い津波を、中央大学有川太郎教授が分析した結果、黒い部分の多くは海の底に沈殿していたヘドロでした。さらに粒子が極めて細かく、1,000分の1ミリ単位という細かさが、さまざまな脅威につながったと考えられています。
粒子の細かさは津波の重さに影響
通常の海水は1リットルあたりおよそ1,030gですが、一方、黒い津波は1,130gあり、およそ10%重くなっています。
津波は重くなるほど押し流す力が強くなります。力を増した黒い津波により足をとられて避難できなかった可能性があります。透明な水の流れより、ヘドロの流れの方が動きがとれないことがよく分かります。
黒い津波の破壊力
黒い津波は建物の被害にも影響を与えていたのかどうか、有川教授は極めて細かい粒子を水に入れて、水より10%重くして、壁に衝突するときの力を比べる実験を繰り返しました。
その結果、想定を上回る2倍の力があることが分かっています。その理由は、波の形が水の場合、波の先端はなだらかですが、一方、黒い津波では、波が盛り上がるように進んでいるからです。
また、建物を浮かせる力も強いことが分かっています。実験では、黒い津波と同じ重さにした液体と、普通の水を用意し、建物に見立てた模型を浮かせる比較実験を行いました。
黒い津波では、18.5cmの水位で模型が浮き上がった。一方、普通の水は同じ水位でも浮き上がりません。
このように、黒い波は建物を押す力だけでなく浮かせる力にも寄与しているので、比較的早い段階で建物が流されている印象があり、このことによって被害が大きくなった可能性が指摘されています。
黒い津波による健康被害
当時、犠牲者が多く、詳しい解剖などが行われなかったため津波で亡くなった人の9割は溺死と判断されています。
しかし、NHKの東日本大震災で検視を行った法医学者にアンケートした結果では、「泥をのみ込んだことによる窒息」などがあったのではないかという回答が相次いでいます。
また、津波にのみ込まれながら救助されて九死に一生を得た人たちは、「津波肺」という重い肺炎にかかる人が相次いでいます。
津波肺とは、油や化学物質などを含んだ汚れた水を吸い込むことで、重い肺炎を起こすものです。黒い津波の粒子の細かさは、肺の奥深くまで達する細かさです。さらに、津波が運んだ細かい粒子が粉じんとなって、それを吸って重い肺の病気になった人もいます。
鎌倉でも東日本大震災でも確認された黒い津波が発生する恐れのある入り組んだ地形は全国に存在します。
しっかりとした津波対策が各個人に求められていると感じます。